今日嬉しい言葉を言って貰いました

今私の勤務しているクリニックは、地域に根差す病院として、訪問看護、看取りを

している。理念が「365日24時間地域の人の為に尽くします」

私はそういう事を知らずに就職したので、1人で訪問看護に行くと聞いて「ええ!」

て感じであった。何故なら車の運転が得意でないのと、方向音痴気味なので、初めて行く

所は地図で調べあげ、かなり早い時間に出かけ、上手く行ったら1時間くらい早く着く事

も多いので、就職先を捜す時、訪問看護ステーションは止めようと思っていたが

いざ就職してみると、訪問看護あり、在宅看取りありで、家の中に1人で入って行き

処置や状態把握するのは苦にならないが、今の勤務先周辺の地理に疎い事である。

訪問看護の患者さんが発熱して、ケアーマネジャーの運転で出かけ、インフルエンザ

の検査して、インフルエンザで無かったが、薬を届けに行く事になり、1人で車を

運転して出かけたが、家が分からず、うろうろしてやっと道いく人に聞き、5分ほどで

行くのに、1時間もかかってやっと家にたどり着き、薬を渡し、病院にぐったりして

帰った事があった。

少しずつ慣れてはいるが、初めていく家は緊張する。

先週訪問した患者さんは77歳でがん末期で、「本人の意思で治療はしない、家で死にたい」

という事で訪問になっていた。

私が訪問した日は、もう食事も食べれず、激やせで黄疸もあり、あまり余命は無いと

感じた。私は在宅看取りは、患者の慰安よりも、看病している家族に目をむけるべき

と考える。そこも娘さん達が交代で見守りされていたが、必ず誰か患者さんの部屋に

おられる様子だったので、私は「家で家族を看取るのは、大変であるが、日常の中に

1人病人さんがおられるという感覚で、ずーと就いていなくても、家事の合間に

覗くとか、いつ死ぬかもしれないと恐れず、家族も寝る時は寝る。本当に日常の中に

家で寝ている人がいると考え、仕事も行かれたら良いし、お母さんは、もし入院されて

いたら、毎日採血され、おしっこの管や黄疸をとる管、点滴などとマカロニ症候群と

言われる管に繋がれていただろうけど、家だと何の管にも繋がれず、只痛みをとる貼り

薬や、座薬を使うのみで幸せだと思う。本当に枯れるように亡くなるのが幸せです。

だから家族の人も構えず、普通の生活をして下さい。その方がお母様も喜ばれますよ」

などの話をしたら「実は皆仕事も行かず、控えていて疲れていたんです。分かりました。」

「食べない、飲まないなど心配しないで下さい。皆こうして亡くなるのですから」

1時間ぐらい話をして帰った。

その患者さんは私が訪問して2日後に亡くなった。

今日家族の方が来られ「貴方に言われた言葉で心が楽になりました。あれから肩の力を

抜いて、母を看る事が出来ました」

嬉しい言葉ですね。まだまだ病院で亡くなる方が多いが、在宅で看取りするには

「家で死にたい」という患者さんの身上を聞き入れられる家族がいないと出来ない。

そしてそれをサポートするナースも家族の話相手になる事が、よき看取りに繋がると

思う。24年間がん患者さんと向き合ってきた事が、今に役にたっている。

人間いつかは「死」を迎える。

在宅で家族を看取った方はきっと、自分もこんな風に「死」を迎えたいと思われるだろう。
   
                在宅看取りが増える事を祈る 藤井でした