1本の電話から

昨日家に帰ると同時に携帯電話が鳴った。

私の肺がんOP後1年後に肺がんのOPされた患者さんであった。定年を1年後に控えての<低分化癌>

少し病理的には悪い。ある日奥様とくつろいでおられた所で出会い「私も1年前に肺がん

のOPしたのですよ」と言うと驚かれたが、病理の違いを気にされていたが、「これは確率

の問題であって、誰が再発するか?分からないのが事実ですので、先の事は誰も分からないのです」
退院されても、仕事復帰するか?悩まれていた。奥さんはもう仕事辞めてゆっくりして欲しいと言われる。
私と担当医は仕事に復帰を会う度に勧めた。「仕事出始めて、再発したら生徒に悪い」

などなど長い間悩まれていたが、私は強力に仕事するべきと推した。

定年まで半年という時、仕事復帰された。
無事定年を迎えられた日に「ありがとう御座いました。お蔭さまで定年を迎えられました」と奥様とあいさつに見えた。

我が事のように嬉しかった。私は娘の引退試合もそうだが、やはりけじめをつけれたら
人間は「やった!」と自信がつくと思うから、中途半端で辞めて欲しくなかった。

後で人間的に素晴らしい人だと分かり「母親大会の講演を聞きに行った時、誰もがこの先生の話しが聞きたい筈」と隣の人に言われ、私はこんな偉い人に話しをしていたのかと
ちょと恥ずかしかったが、仕事勧めて良かったと思った。

その後、何かあると電話があったが、当分連絡が途絶えていたので、「どうしましたか?」

「反対側に1cm大の肺がんが見つかりました。OPは・・先生にしてもらうほうがいいですね?」いろいろ経緯を聞き「信頼する・・先生がいいと思いますので、私の方からも
連絡しておきますね。頑張って下さい」と言うと「必ず生還します」と力強い言葉が返ってきた。

嬉しいですね。11年前の出会いから何かあると相談されるというのは。

看護師をしていて良かったと思う瞬間だ。

この事で思い出した人がいる。この方も肺がんで男性であった。7年目に再発した。
タバコは最初から止めれなかった。色々な事情で1人暮らしであり、生活も少し荒れていたが、私はこの人が気になっていた。肋骨などや胸骨もやられ、金属に置き換えられたので

痛いし食事も段々食べられず、痩せる一方だった。ある日別な病院に入院された事は知ったがそのまま、時は過ぎていった。

受付から「藤井さんに渡して下さい」と預かりましたと手紙が届いた。

誰から?封を開けると私がその方のOPの日「頑張ってね」とお守りを渡した紙が添えられて
いた。その方の妹さんからの手紙でした。

内容は「OPが決まってから、兄と2人親身になってご相談に乗って頂きました。あの日の藤井様の明るさと笑顔がOPにたいする不安と心配を和らげてくれました。OP時
頂いたお守りを兄は大切にしておりました。藤井さまから受けた優しさは頑なだった兄の心を

唯一癒して下さったと私は信じています。当人には辛い闘病の1年8か月でしたが、最後は
優しい顔で逝ってくれたのが救いです。ありがとうございました」と結んでありました。

昨日その方の手紙を読み返しながら、他院に入院されたのを知りながら、顔を見に行けなかった自分が情けなくなりました。最初から関わった方を最後まで見守り出来なかった自分が
いました。でも妹さんはそれを責める事もなく、亡くなった後も、私の事を思い出してお手紙を下さいました。

せめてリレーフォーライフルミナリエで「最後までよく頑張りましたね。天国では幸せに

暮らしてくださいね」とお祈りします。いろいろな患者さんが目に浮かびます。
              ルミナリエが近づき いろいろ思う 藤井でした